さて、本日はTwitterからです。テクノユニット「電気グルーヴ」の石野卓球さんのTwitterが話題になっています。
なんか俺と自分が対話してる気になってる人とか、律儀にいちいちつまんないコメントしてつまんなくさせる人とかトンチンカンな質問してくる人とかって悪意がないだけにわざわざ俺に絡んで来るクランケよりタチ悪いときあるからね。 https://t.co/nxkURvaIyz
— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年5月4日
元々はピエール瀧さんの逮捕から、「相方である石野卓球が謝罪をするべき!!」みたいな風潮から始まり、バイキングでのバッシングとも言える取り扱いから、全面戦争的な感じになりました。
挙げ句の果てに以下のツイートに対して、「謝罪もせんで笑顔とはけしからん」ときました。
一カ月半ぶりに瀧くんと会ったよ。汗だくになるほど笑った! pic.twitter.com/058rZ4PTS3
— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年4月25日
しかしながら卓球さんはブレる事なく投稿を続けました。
地獄温泉グッズ近日オーダースタート!買ってやー! pic.twitter.com/bJjUEXlMxK
— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年4月26日
そこで今回は、、ブレない石野卓球さんの投稿から考える、「正義」というものの不確かさや愚かさについて考えたいと思います。
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1.「正義」という名の押し付け
先ず考えたいのが、「正義」「正解」というモノは一体なんなのか?という事についてです。今回の一連の騒動で分かるのが、「相方が逮捕されたんだから謝罪すべき」「ふざけたりするのは不謹慎」と考える人たちの「正義の押し付け」です。
勿論被害者があるような事件の加害者なら、誠心誠意謝罪をしたりする必要はあると思います。が、犯罪者の家族や周囲の人々は笑ってはいけないのか?ふざけてはいけないのか?結局それはマスコミやらTVが考える「正義」であって、それが100%正しい事であるとは言えないという事です。その通りに行動をしなかったからといってバッシングするのは、単なる押し付けであると思うのです!!!!
・・・という私の意見も結局誰かに強要するようなら「押し付け」になる訳で、大事な事は例え自分の考えとは違っていたとしても、
「私はその意見には反対だが、その意見を言う貴方の権利は尊重する」
と言う考えだと思っています。
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2.自分の物差しは自分にね
卓球さんは、上記の考え方をヒトコトで言い表しています。それが「自分の物差しは自分にね」と言う言葉です。
何故誤字脱字があるのが前提?
自分の物差しは自分にね https://t.co/JwjHmMY1um— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年4月17日
人間は無意識に「自分の物差し」という先入観や思い込みで物事を測っているという事です。そして、その物差しで測れない事象に出くわすと、「おかしい」とか「間違ってる」などと思い、否定してしまう訳です。
「世の中には自分の物差しでは測れない事が沢山ある」これを理解した上で他人の事を考える・・・これは本当に大事なのですが、出来ない人のなんと多い事か・・・
特に今回の件は、「TVタレントの物差し」や「一般人の物差し」を「世界的カリスマテクノDJ」に当てはめちゃったもんだから、そりゃ測れませんわ・・と言う話です。
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3.物差しの多様性を認める
では、「自分の物差し」はいけない事なのか?と言う話ですが、そうではありません。物差しをしっかり持っている事、その事自体はとても良い事です。良くないのは、「その物差しで全てを計測できると勘違いする事」です。
特に日本人は「同じ=良い事」と言う風潮があります。同調圧力ってやつですね。しかし時代は変化をしています。「個」の時代を既に過ぎており、「コミュニティ」の時代と言われています。今まで「サブカル」と呼ばれていたりした、趣味等で集まっていたグループが、オンラインサロン等を通じで経済圏を作り、それが社会を作っていく時代が来ています。こんな時代に自分の物差しだけで全てを測っていては、おいていかれるのが関の山です。時代錯誤になってしまいます。
↓これは事代作吾先生
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4.まとめ
と言う事で、何が言いたいかというと、自分自身が「○○である!」と信じて止まない事というのは、意外と当てにならない・・・という事です。私の例で言えば、「酒なしで生きるなんて考えられない」と思っていましたが、今は逆に「あんな毎日呑んだくれて良く死ななかったな。」と思うようになりました。180度考えが変わっています。たった1年足らずで。
人は何も持たずに生まれて来て、死ぬ時も何も持っていけません。結局の所、執着している物や考え方なんていつか消えてなくなる。そんなもんという事です。自分自身には理解出来ない事や腑に落ちない事は沢山あるし、周囲に理解して貰えない事もこれまた沢山あります。そんな事に執着したり、悩んだり怒ったりしている時間が勿体無い!!!!
私は死ぬ直前まで酒に執着して、その事にやっと気付いた訳です。あー勿体無い時間を過ごした・・・・
皆さんも執着しているモノ・コト・考えなどがあったら、一度そこから離れてみる事をお勧めします。一生懸命握っていたモノを離すと、その手で何か違うモノを握れるかも・・・・?
おわり
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